「じゃがいも」について

投稿者: tikuwapop 投稿日:

じゃがいも  馬鈴薯
potato
科:ナス科 Solanaceae
属:ナス属 Solanum
種:ジャガイモ S. tuberosum


行政機関や学会で、「バレイショ」「ジャガイモ」の呼び名が分かれて今に至りますが、同じものをさしています。消費者的には、「じゃがいも」がわかりやすいので、このサイトでも一貫してじゃがいもと呼びます。

南米アンデスの高地(ペルー~ボリビア)が原産。チチカカ湖周辺で標高3000mを超すところです。


アンデスでは、「チューニョ」とよばれる、脱水乾燥した状態のものを保存食として利用しています。
凍結~解凍を繰り返したのち、足で踏んづけて、再度乾燥することで、軽くて持ち運びしやすく、年中保存が可能な食品になります。
中公新書「ジャガイモの世界史」伊藤章治 著に詳しいです。実際に「チューニョ」を食べてみた感想もうかがえます。楽しく読めますので、是非ご一読を。



【 ヨーロッパに渡ったじゃがいも 】


16世紀にインカ帝国を滅ぼしたスペイン人がヨーロッパに持ち込みます。すぐには広まらず、30年ほどして、植物学者や研究者が栽培を始めたといいます。
スペインからどう広まったのか諸説ありますが、オランダ船員がポケットにでも入れて広めたのでしょう。
長旅をして世界中を巡ったので、じゃがいもは「地球を一周した食物」とも呼ばれます。

一般の栽培は、30年戦争(~1648年)のあとの事と考えられています。
17~18世紀、ヨーロッパでは戦争が絶えず起こり、加えて気候異変に悩まされ、飢えに苦しんだことから、じゃがいも栽培が広まります。
実は、じゃがいもは、飢餓と戦争に密接に関連しています。
冷涼な気候や、やせた土地でもよく育つじゃがいも。
栄養価も申し分ない野菜。
しかし、じゃがいもには迷信があって、「食べると悪いことが起きる」と考えられていたそうで、なかなか栽培が広まりません。

そこで、フランスでは植物学者バルマンチェが一計を案じて、じゃがいも畑を厳重に兵士に守らせました。
「何か、ものすごく大切なものに違いない」と噂がたったころ、夜の警備を解いて盗ませ、あっというまに広まったとか。
「パルマンティエ」は、じゃがいも料理のことを指しますが、この植物学者バルマンチェからきています。

ヨーロッパでは各国で似たような普及の障害があったようです。しかし、鳥害を受けず、やせた土地や寒冷地でも栽培でき、保存性もあり、収量でバランスの良い優良食品のじゃがいもは重宝され、いつのまにか各地で栽培されるようになります。
ポケットに入れて人知れず運ばれたのでしょうね。
ヨーロッパでは19世紀になって、普通に食卓にのぼる食材になっていきます。

【 アイルランドのじゃがいも飢饉 】

アイルランドは、12世紀から18世紀にかけ、英国の理不尽な支配を受け、岩盤と石ころだらけの土地に追い込まれました。
小作人となったアイルランド農民は、小麦とじゃがいもを作りますが、小麦のほとんどは英国人地主に納めさせられ、じゃがいもを主食として生き残ります。
放任栽培でも1haあたり17t収穫できた(2008年時点世界平均16.4t)といいます。優秀な食糧源として栽培が広まりました。
しかし、アイルランドに「じゃがいも疫病」が広まり、飢饉となります。翌年蒔く種イモまで食べつくして、100万人が海を渡り、100万人以上が餓死・病死します。
じゃがいも単作であること、英国支配による貧困が起こした悲劇です。

地獄を見たアイルランド人。一部の人たちは、国を捨てて北米に渡り、米国でじゃがいも栽培を根付かせています。

その後、アイルランドは、長い時を経て、1916年、イースター蜂起(復活祭蜂起)以後アイルランド独立戦争~共和国として独立。イギリス支配体制が終焉したのち、経済成長。
いまでは2021年アイルランドは、一人あたりGDP2位(日本28位、日本の2.5倍)の国になっています。
EU離脱で、南北の宗教対立は余談を許さないですが、過去の異様な状況を考えると、安定しています。


じゃがいもを巡る歴史は、暗い部分もありますが、人々の命を支えた役割は大きいです。
「貧者のパン」、日本でも「お助け芋」と呼ばれます。
食糧安全保障としての重要作物でもあるわけです。
インカ帝国からのプレゼントかもしれません。


【 日本への伝来 】

日本に最初に上陸したのは、長崎県とされます。諸説ありますが、慶長3年(1589年)ジャカルタを経由してオランダ船が運んできたようです。
「ジャカルタ(ジャガトラ港)から来たいも=じゃがたらいも→じゃがいも」が、語源とされています。

「爪哇芋(ジャワいも)」と長崎では呼ばれていたようで、こちらの方が現在の通り名「じゃがいも」に近いような気がします。

また、馬につける鈴に似ていることから「馬鈴薯(ばれいしょ)」とも呼ばれています。
当初は、観賞用が主で、ごく一部で消費されていたようです。広まるまでにはまだ少し時間がかかります。

【 日本でのじゃがいも普及~北海道と長崎 】

日本では、北海道と長崎で、その後、じゃがいもは特異な発展を見せます。
北海道では1706年、「松兵衛」という人が漁場の近くの畑でじゃがいもを栽培したという最古の記録があります。菜園程度のものだったのでしょう。長形で淡紫皮の芋、目が深いタイプのもので、品種などの情報はありません。

ヨーロッパでもそうであったように、あまりに普通に生活に溶け込んでいったのか、じゃがいもは静かに広まったようで、案外記録が少ないのも面白い点です。

明治にはいって、元々は明治維新によって職を失った士族を活用することや、北海道の防衛と開拓を目的とした、「屯田兵」が始まります。

明治3年から伊達藩が先発。のち開拓次官黒田清隆が現地入りし、北海道開拓10カ年計画をもとに米国の顧問団を招聘。
明治8年(1875年)には募集した屯田兵198戸が北海道に移住し開拓が進められる中で、じゃがいも栽培が導入されます。
同時期、明治9年、札幌農学校にクラーク博士が教頭として赴任、玉ねぎや人参のほか、じゃがいもなど、西洋野菜の栽培がすすめられます。


根室では、湯地定基(ゆちさだもと)が、初代根室県令(知事)として赴任した際、「五升薯」としてじゃがいも栽培を強引に勧めます。農民が渋々始めた栽培は、豊かな実りになり、驚くような恩恵をもたらしました。以後、湯地定基を「芋判官」と感謝をこめて呼ぶようになりました。

いっぽうの、長崎。
もうひとつの大産地で、日本に最初にじゃがいもが来た長崎。
「爪哇芋(ジャワいも)」と呼んでいたと記録があります。栽培が点々と広まり、明治初期には、すでにじゃがいもは輸出品になっています。しかし、一般の消費は少なく、長崎市周辺の一部だけで消費されたようです。


元々、アンデスの標高3000m以上の高地が原産のじゃがいも。暖地である長崎で栽培するには、品種改良や病害虫対策が欠かせません。


この難題に取り組んだのが、長崎県総合農林試験場愛野馬鈴薯支場でした。昭和26年のこと。
暖地向けに、二期作の可能な品種をめざし、品種開発に取り組まれ、多くの品種が生まれています。
ここで生まれたデジマ、ニシユタカは、現在も重要な品種として残っています。



【 生産状況と収穫量 日本と世界の違い 】

●国内の栽培状況
大産地は北海道。寒冷な気候がじゃがいもに向いていること、広大な土地で大規模化しやすい事が主な理由でしょう。鹿児島、長崎、茨城、千葉で、国内産の9割に達します。
8割近い生産量の北海道。大産地は、帯広市 網走市 斜里郡斜里町 芽室町 斜里郡小清水町で、北海道の東部で盛んです。


年代別に、栽培面積と収穫量、および、1ha単位面積あたりの収量を調べてみました。
隔年データ。
栽培面積は、昭和30年代に比べ、令和元年では6割以上も減っています。
しかし、収穫量はそれほど減っているわけではありません。

右端の1haあたり収量をみると、昭和30年代に比べ、倍以上の収量に増えています。
機械化や品種改良、技術の進歩など、多くの秘密がありそうです。

●世界の栽培状況
一方、世界を見渡すと、人口の多い中国、インドのほか、大穀倉地のウクライナが続きます。


ここで、ぜひとも注目したいのは、面積haあたりの生産量です。
アメリカ、ドイツのほか、日本も単位面積あたりの収量は多いほうだとわかります。
なぜ、これほどまでに差があるのか?
年度は少し古くなりますが、2016年の単位面積あたりの生産量。

これらの国を黄色に塗って地図にしてみると、判ることがあります。
北緯は50°付近、南緯は30°以南あたりで面積あたり収量が多いようです。
つまり面積あたり収量の多いところは、南北ともに比較的「高緯度」で、低緯度の場所では収量が伸びないということが判ります。

現カルビーポテト㈱参与で種苗管理センター北海道中央農場場長だった田中智氏によると、夏期の気候が比較的平穏であること、日照時間が長いこと、生育期間が長く塊茎の肥大期間が100日以上になることが要素ではないかと述べています。
日本では生育期間が3か月程度と短く肥大が進まないことから、収穫量が伸びにくいのでは?としています。
米国では、シューストリングなどのフライドポテト需要が大きく、大型で長卵形のじゃがいもが加工に向いているのに対し、日本では、丸い中玉がポテトチップス需要に合うという側面もありますが、これは結果論かもしれません。
比較的高緯度の北海道では、全国平均よりも面積あたり収穫量が多いのは先述のとおりです。

なお、低緯度の国では、トウダイグサ科で、世界3大芋類「キャッサバ」栽培がさかんです。
ナイジェリア、コンゴ、タイ、ウガンダ、ブラジル、ガーナ、タンザニア、アンゴラ、コートジボワール、モザンビーク、インドネシアなど。
澱粉はタピオカになる、あれです。ちなみに、静岡や沖縄でキャッサバを生産している農家さんがあるようです。



【国内の栽培品種と用途】

令和元年の栽培面積をもとに、日本全国の品種の上位順に並べてみます。
用途については、チップスやでん粉に特化した品種もありますが、青果食用向きとされるものは、食用としています。用途別に、色分けしてみました。秋春作合計。

農水省 バレイショデータを加工引用
https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/imo/pdf/21_04_00.pdf

食用とされるものの上位は、男爵、メークイン、ニシユタカ、キタアカリで、いずれもよく知られた品種です。
コナフブキはでん粉用として多く栽培されています。

加工用とは、チップス向きや、冷凍(コロッケ等)のニーズに比較的合う品種をさしています。

北海50号は肥大性も良く根強くつくられてきましたが奨励品種にならず、品種登録もされていません。

ピルカは新しい品種ですが、多用途が評価され広まっています。

ひかるはポテサラ向きとして開発されましたが、生食向きでもあります。

サッシーはフランス原産で、フライドポテト向き。
同じフランス生まれのコロール、アローワはシットリ系で食用向き。

シャドークイーン、キタムラサキは紫芋ですが、ここでは多用途と判定しています。

紫月は、紫皮で黄肉の、煮崩れの少ないタイプの青果品種。
北海98号は、インカのめざめの変異。

上位20位までで、栽培面積の95%ということになりますから、このあたりまでは、知っておきたい品種ですね。もちろん、実際には店頭に上記に無い品種もお目見えすることも多いです。

青果用の注目株は、「キタアカリ」、「きたかむい」。

キタアカリはすっかりお馴染みになっています。
対局の「きたかむい」も支持され、栽培面積が拡大中。
どちらも、とても美味しい品種です。

食味については、「ほくほく」「しっとり」の二大勢力で、大きな嗜好の変化は無さそうですが、カラフルポテトは、農研機構を中心に、熱心に開発が進んでいます。今後も、良食味の品種のチェックはしておいたほうが良いでしょう。





【 世界のフライドポテト 】

マクドナルド社が提供する、フレンチフライポテト。
品種は「ラセットバーバンク」です。
国内での栽培には向かないようです。

プリングルスなど成型するタイプのチップスも、ラセットバーバンクを使用しているそうです。
とても巨大なジャガイモなので、フレンチフライも20cmくらいの長さが入っていますね。
男爵やメイクイーンの大きさでは作ることができないものです。
国内でもラセットバーバンクの栽培は試みられたようですが、小さくて失敗に終わっています。

フライドポテトは和製英語ですので、英語圏では「フレンチフライFrench Fries」。
フレンチ=「フランスの」が入っていますが、勘違いから始まった名前。
通説とされるのが、フランス語を話すベルギー人が作っていた「フリッツFrietjes 」を見て、フランス人が作る揚げポテトだ!ということで、「フレンチフライ」と呼んで広めたことに始まります。
フランス語ではフリットfrite ですが、ベルギー人もフランス人も、マヨネーズをつけて食べるのも好きなようです。カロリーもすごいですが、お国柄ですね。


なお、ロシアの一方的侵略で始まった、ウクライナ侵略戦争ですが、この2カ国のジャガイモ生産量は世界の生産量 約1割にあたります。

【 じゃがいもをめぐる、今後の国内情勢 】

食用品種では、男爵薯一辺倒の市場形成になっていますが、これは、世界でも珍しい傾向と思っていいと思います。
消費の点では、凸凹の少ないホクホク系の芋が好まれるでしょう。
食用で人気の「メイクイーン(May Queen)」は、イギリス生まれで、大正時代には日本に入ってきたのではとされています。
イギリス本国では、実はあまり作られていないそうです。
多くの品種を残した日本のじゃがいも育種家 故 俵正彦氏の説では、日本にあるものは「男爵の変異」だそうです。
加工用も、「コナフブキ」は1971年うまれ。

「コナフブキ」の母品種で栽培面積3位の「トヨシロ」は1960年生まれ。ずいぶん長期間栽培されている品種です。

多大な努力をはらって、改良種をリリースしているものの、じゃがいもに関しては、古くからある品種がいまも広範囲で栽培されていて、日本のじゃがいも市場は「保守的」と言われるゆえんです。

ちなみに、今では、黄色や白っぽい外皮のジャガイモが普通になっていますが、もとはと言えば、「赤」か「紫」の外皮だったそうです。
長い時間をかけて、現在ある消費作物へと変わってきたのです。

後発品種は、生産や経済性など、優れた点を持っているものが多いですが、実際の「生産」と「消費=市場性」の現場では、なかなかその先が提案できずにいる状況かと思います。
生産現場では、病害虫に強い品種、多収で生産性の良い品種。流通の面では、販売しやすい規格に合う、保存性が良く外観の優れたものが期間を経て広まるのではないかと思います。

ほかにも紹介しておきたい個人や関係者、ヒストリーもありますが、ここで閉じておきます。
たくさんの人たちが、この重要作物に多大なエネルギーを投じてきたことに、敬意を表しておきたいです。
調べるほど、いろんな意味で、じゃがいもって、魅力的ですね。




かぼちゃにくらべ、市民権を得ているじゃがいも。

個性がすくない事も嗜好に反映しますが、命を支えてきた野菜と考えると、感慨深いものがあります。





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