「カボチャ」について
かぼちゃ 南瓜 トウナス
Kabocha squash
科:ウリ科 Cucurbitaceae
連:カボチャ連 Cucurbiteae
属:カボチャ属 Cucurbita L.
連(れん)というのは、生物の分類の階級で「族」とか表現されます。必要に応じて、科の下で、属の上に分類する表現です。
ウリの仲間ということになります。ちょっと意外。
【 呼び名、和名について 】
古く文書に残っているカボチャの和名は「ナンバンウリ」と「アコダウリ」。現在となっては馴染みのない表現です。ウリの仲間であるという点を正確にとらえています。
江戸期になると、「和漢三才図会」に、「南瓜瓜」「唐茄子」という呼び方が残っています。唐から来た茄子という意味。形状からそう名付けたのでしょう。茄子は、ナス科ナス属なので、今となってはちょっと無理があります。
かぼちゃ=「南瓜(なんきん)」という表現は関西以西で今も使われます。中国南京から渡ってきたからというのが根拠とされますが、現在は、北米南部か中南米が原産のものではないかと考えられています。したがって、「南京」ではなく「南瓜」の字があてられます。
まず日本に入ってきたのが、Cucurbita moschata=「ニホンカボチャ」。高温多湿な気候に合ったもので粘質なタイプ。日本で多様な発展を遂げました。菊座型の菊かぼちゃ、鶴首かぼちゃ等が残っています。現在は消費の主力にはならず、名産品や地域産品として残っています。
明治期に入ってきた、栗かぼちゃなどのセイヨウカボチャの類は、日本で育成されたものが世界各地で作られKabocha squashと呼ばれ親しまれています。
Cucurbita pepoは飾りカボチャや家畜飼料用のポンキン、金糸瓜や韓国かぼちゃなど多様で、若どりの食用もあります。
英語表記について。
Pumpkinは、ハロウィンに使われるような、オレンジ色のものだけを指す場合が多いです。通常はsquash 。
ズッキーニなど未熟で皮が薄いものを、summer squash 、皮の分厚い所謂かぼちゃをwinter squash とする表現もあります。
果実の完熟には、一定以上の積算温度が必要な植物だそうで、夏どりと、秋冬どりに分けるという考え方は、作型と名前が一致して面白いです。
カボチャの雌花着生は低温・短日条件で早まり,高温・長日条件では遅れるというのが一般的です。
飼料用や種からオイルを採種する目的のカボチャ(おもにペポカボチャ)もありますが、ここでは果肉の食用カボチャの話を中心にしたいと思います。
【 かぼちゃの伝播~歴史 】
原産は南米大陸。紀元前数千年前にはあったようです。
奴隷商人で、最初に新大陸にたどり着いた、クリストファー・コロンブスが、15世紀終わり頃ヨーロッパに持ち帰り、その後あちこちに伝播。
日本への伝来は案外早く、ポルトガル人が(1541年か)、九州(大分か)に持ち込んだとされますが諸説あります。いずれにせよ、コロンブスの時代から100年もかかっていません。
最初に入ってきたニホンカボチャが、各地で気候風土に合った特筆すべき変異をみせた点は後述。
「カンボジア(Cambodia)経由の野菜」ということから、「カボチャ」に訛ったとされるのが定説です。現在主流の、セイヨウカボチャが日本に入ってくるのは、じつは、まだまだ先のことになります。
キンシウリ(金糸瓜)は案外遅く、日清戦争以後渡来したもので、一部で作られるだけになっています。同じ仲間のズッキーニなどのペポカボチャも、昭和になって広まったものです。
【 カボチャの系統 】
国内のかぼちゃは、三系統に分類されます。
「セイヨウカボチャ」
「ニホンカボチャ」
「ペポカボチャ」です。
一般に、ニホンカボチャは、先述のとおり、粘質で水分が多くねっとりしています。
セイヨウカボチャは遅れて日本に入ってきましたが、ホクホクして甘く美味しいことから、徐々にニホンカボチャは廃れていきます。
ペポカボチャは、北米が原産とされます。紀元前の遺跡から出ているなど古くから北米で栽培されたようです。各地に渡って、気候に合った順化を遂げていきます。耐暑性があることから、南欧や東アジアで普及していきます。飾りカボチャ、おもちゃカボチャと呼ばれる、不思議な形のものもあり、観賞用になっています。ハロウィンに使われるものもこの仲間。
バターナッツは「ペポカボチャ」であるとの表記もありますが、ここではニホンカボチャとします。
上記のほかに、「ミキスタカボチャ」や「フィシフォリア」といった分類がされる場合があります。「ミキスタカボチャ」は元々ニホンカボチャで、分類上は比較的新しいもの。「フィシフォリア」はレアなもので、あまり研究の対象になっていない類のものです。
流通しているもののうち、「ミクスタ(Mixta)」と呼ばれるものがあり、セイヨウカボチャとニホンカボチャあるいはペポカボチャの種間交雑が接木台木として利用されています。カボチャは、ウリ科の中では低温に強いので、キュウリや、すいかの優秀な台木となっています。
【 ニホンカボチャの伝来 】
1573年オランダ船がもたらしたとされる、ニホンカボチャ。
ニホンカボチャの原種は諸説あるようですが、北米南部か中南米と考えられています。
ニホンカボチャは、世界各地でも栽培されますが、どういうわけか日本で特異な品種を多数分化したので、「ニホンカボチャ」と呼ばれています。
最初に大分で広まったとされます。豊後の国(大分)のキリシタン大名、大友宗麟(大友 義鎮)が広めたという、「宗麟かぼちゃ」が今も残っています。
天正4年(1573年)、長崎で広まり、各地で栽培されるようになります。「宗麟かぼちゃ」は2002(平成14)年、県職員有志が復活させた、赤皮の日本カボチャです。
その後も各地で、色々な形質を持ったニホンカボチャが日本の気候風土に合った定着を見せ、かつては100種を超す品種があったようです。
一目でわかる、セイヨウカボチャとニホンカボチャの区別方法として、茎の断面形が五角形で角ばったものは、ニホンカボチャ。丸いものは、ニホンカボチャの系統ではありません。知っておくと何かと役立つミニ知識です。
写真は、バターナッツのもの。
【 ニホンカボチャの系統 】
伝来後、多様な変異をしてきたニホンカボチャ。かつては100種を超す品種があったとされますが、ここでは、現在も伝統野菜という形で残っているもの等を紹介していきたいと思います。
福岡「三毛門(みけかど)かぼちゃ」、愛知「愛知白縮緬」、京都「鹿ケ谷かぼちゃ」、山形飯豊町「宇津沢かぼちゃ」、大阪の元は西成にあった「勝間(こつま)南瓜」、福島「会津小菊」、などが現存しています。
鶴の首に見えることから名づけられた、「鶴首かぼちゃ」も各地に残っています。岩手一関では、交配を重ねた現代版鶴首かぼちゃ「南部一郎」が生まれています。
東京「居木(いるぎ)橋かぼちゃ(居留木とも)」は沢庵和尚が上方から取り寄せた種が元とされますが、「勝間南瓜」なのではないかと考えられています。
さきほど紹介の、大分の「宗麟かぼちゃ」ですが、現在大分で復刻しているものは、その系統とされる「三毛門(みけかど)かぼちゃ」とされていて、赤皮で菊座型の日本カボチャの形質です。
かつて主流だったニホンカボチャ。
今どうなっているのでしょう。
地域の「伝統野菜」として、復興させているだけではないようです。
ニホンカボチャの一部は、F1品種として流通しているものもあります。
「日向かぼちゃ」は、宮崎で栽培されるニホンカボチャ黒皮群の総称です。元は大正時代に千葉から取り寄せた種だそうで、宮崎県農業試験場が作出。「宮崎早生1号・2号」はハウスで立体栽培されていますので、美しい外観。露地品種では「宮崎抑制2号」が用いられます。
東京都農業試験場が育成した「与論カボチャ」は現在レア品扱いです。
バターナッツの縞模様のものも最近見かけますが、これもF1。
おおまかに分けると、最も知られている「菊座型」のほか、「縮緬(ちりめん)」、「トウナス(ひょうたん型)」、「鶴首」、「バターナッツ」に分けることができます。
季節祭事として今も残る行事、「冬至」。
江戸時代に始まったとされる「冬至なんきん」ですが、セイヨウカボチャが入ってきたのは幕末ごろとされていますので、「冬至なんきん」といえば、ニホンカボチャだったのでしょう。
京都の鹿ケ谷かぼちゃ(上図ひょうたん型の左側)もずいぶん変わった形です。元は、ごく普通の菊座型かぼちゃだったようですが、よくまあ、ここまで見た目が変わるものです。江戸時代末期、文化年間に山城国粟田村の百姓が津軽から持ち帰ったかぼちゃの種を愛宕郡鹿ヶ谷村の農家に譲ったもののようです。
かつては、ニホンカボチャが主体だった、日本の食卓のかぼちゃですが、明治を境に、セイヨウカボチャへと市場は劇的に変化し、戦後明確な変化を遂げていきます。
【 セイヨウカボチャの伝来 】
ニホンカボチャ伝来から遅れること200年ほど後のこと。寒さに強いことから、国策事業として、明治初期の北海道開拓使でセイヨウカボチャが採用されます。
セイヨウカボチャの中にも、しっとり系や柔らかいものもあるようですが、日本へ初期に上陸した、ホクホクで甘味のある品種が普及していきます。
北海道開拓使で、当初投入された品種は「ハッバード」「デリシャス」だったようです。いずれもホクホクで、「デリシャス」は、カステラカボチャと呼ばれていました。
ラグビーボール型の「ハッバード」は北海道の気候に順化して「まさかりかぼちゃ」になります。まさかりを使わないと割れないというのでこの名がついたそうですが、相当固い皮を持っているのでしょうね。貯蔵性が良く、昭和30年代まで広く栽培されたようです。
多くの品種がその後も投入され、北海道~東北、冷涼地に定着し、各地に品種が伝播。土着して今も生き残っているものがあります。現在も、北海道は全国のカボチャの半分以上を生産する大産地となっていきます。
ニホンカボチャに比べ、これらの品種の、粉質で甘さのある果肉が好まれ、広く各地に広まることになります。
明治の末には、デリシャス系が、育成過程で「会津栗かぼちゃ」となり、その後、「赤皮甘栗」「甘栗」系の元となっています。現在の、金沢「打木赤皮栗かぼちゃ」東京「芳香青皮(東京かぼちゃ)」にまでつながる系譜。
打木赤皮は、金沢市 松本佐一郎氏が福島県会津の赤皮栗を選抜したもの。
東京芳香青皮は、渡辺採種場の作出。いずれもセイヨウカボチャの系統です。
北海道では、同じくデリシャス系から、「栗饅(くりまん)」「中村早生(成金カボチャ)」が生まれると、東北~九州まで徐々に各地に広まっています。
セイヨウカボチャの品種群として、代表的なものは、以下。
「デリシャス群」
果形が扁円またはハート型で、甘味が強いことから、「カステラカボチャ」とも。北海道や東北で主要な品種として残ります。北関東では「中山」がいまも残ります。
「栗かぼちゃ群」
デリシャスから派生したとされるもので、黒皮・青皮・赤皮があります。赤皮甘栗、黒皮甘栗のほか、打木赤皮栗など地方伝統野菜として生き残っているものがあります。
「ハッバード群」
北海道に初期に投入された、ラグビーボール型になりやすい、硬くて貯蔵性の良いカボチャ。色は黒やダークグリーン。粉質で甘く、北海道の「マサカリカボチャ」、「ナタワレカボチャ」と呼ばれたりします。
一旦は生産が途絶えたこの系統。現在は、「まさかり岩男」として復活しています。「硬さ」を「不便」と思うか、「個性」や「面白い」と感じるかという点で、面白い商品化です。やはり普通の包丁では使い物にならないようで、「鉈(なた)で割る」「放り投げて落とす」といったワイルドな切り方です。
ハッバードは、今も各地に変異して残っているそうで、長野在来のハッバードが現在野口のタネで入手可能です。
山形では「ヘソカボチャ」といわれるものが残っているものが、マサカリカボチャの一種のようです。
【 進化がとまらない セイヨウカボチャ 】
戦後になって、食味をさらに追及した品種の育成が進みます。
1964年、タキイ種苗が育成したF1品種「えびす」が人気となり、全国に広まり、同系統のホクホクしたカボチャが主体となっていきます。以後、開発の主体は、F1品種に傾倒していきます。
具体的には、粉質で近成り性の豊産種、早熟で早出しできるもの、甘味の強い物、作型が広範囲に合うものが作出されていきます。
1980年に「みやこ」、「くりじまん」、極粉質のサカタのタネ「雪化粧」、小型のかわいい協和種苗「くり坊(坊ちゃんかぼちゃ)」、未熟果でサラダ用途の「コリンキー」などが作出されます。
現在の国内消費はニュージーランド、メキシコのほか、トンガ王国からの輸入が多くなっていますが、じつは、「味平」「ほっこりえびす」「栗じまん」「みやこ」など日本生まれの品種も多く使われています。
最大の輸入国、ニュージーランドでは1970年代に日本商社が「えびす」系の種子を持ち込み、1980年代には日本への輸出が盛んになったという、歴史的経緯があります。
【 その他のカボチャ 】
もう一つの系統として「ペポカボチャ」があげられます。
ルーツは、ほかのカボチャよりも北の、北米と考えられています。
飾りカボチャは、食用というよりも、種からオイルを採ったり、飼料や装飾など、通常の用途からは縁遠いものですが、乾燥した種などは、食用として知られています。
「ターバン群」の、「おかめかぼちゃ」や、「マンモス群」の、巨大なサイズになるカボチャがあります。かぼちゃコンテストに出たり、ハロゥイン用の飾りカボチャでお馴染み。装飾用の飾りカボチャが日本で市場性を持つようになったのは国内ではごく最近です。
これらはいずれも、果肉を食用とするものではありません。
果肉を食用とするペポカボチャについて。
ペポカボチャには、食用の、未熟果を若採りするズッキーニや、「そうめんかぼちゃ(金糸瓜)」と呼ばれるものがあります。
食用の商業栽培としては国内では1980年ごろから、ズッキーニの栽培が始まり、定着を見せます。
そのほか、食用で若どりの韓国カボチャ(リッチーナ、カボッキー、マッチャン)があります。
そのほか、交配系の食用カボチャでは、サカタのタネの育成「プッチーニ」は、ペポカボチャとセイヨウカボチャの種間交雑。オレンジの縦縞模様で粘性ですが日持ちがよくて食用にもなり、飾りにしても可愛いです。
かなり小型の「錦甘露(きんかんろ)」は、埼玉県の作出で、甘味のある、詰め物に向くカボチャ。
外来では、小型で色形も多様な「テーブルクイーン」もあります。こちらも詰め物に向きます。
他にもありますが、いずれにしても、円筒形をしたズッキーニのほかは、国内の青果流通量はごく少ないのが現状です。
【 その他のカボチャ 種間交雑について 】
ニホンカボチャと、セイヨウカボチャの種間交雑について。ミクスタと呼ばれるもので、主に接木台木として活躍しています。
最初の開発は、タキイ種苗の「鉄かぶと」で、昭和26年に発表されます。別名新土佐。メロンの台木として用いられます。草勢がとても強く、耐病性もあることから、「夏カボチャ」として実用化されましたが、現在では海外の利用が多いそうで、国内の食用栽培は少なく、接木品種として知られています。
きゅうりのブルームレス化には「雲竜」(久留米原種育種会)、「ひかりパワー」(ときわ研究所)などがあります。
ウリ科の植物の、スイカ、キュウリ、ノーネットメロン、マクワ、シロウリなどの台木として活躍しています。
ニホンカボチャの原産地は、アンデス高原原産のセイヨウカボチャよりも暑い地域なので、暑さに強いことから現在も交配に活かされています。
【 国内生産について 】
日本国内の生産地で、最も多いのは、北海道で、半分以上を占めています。
その他、鹿児島や茨城などとなっています。令和2年データ。
暖地では、夏の収穫、北海道では夏から秋にかけての収穫となります。
面白いのは、思いのほか「寒冷地」と「暖地」が中心になっている点です。
上位15道県を地図に落としてみると、中間地が抜けています。興味深いですね。
【 カボチャの栄養素からみた特徴 】
果肉の黄色みのある色は、β-カロテン。抗酸化ビタミンA・C・Eも豊富で、カロリーもセイヨウカボチャのほうが高いとはいえ、精白米よりもずいぶん少ないです。米に比べても、栄養価については、特筆すべき優秀さです。
「カボチャダイエット」が流行るのも、理にかなっています。
また、保存性も高く、熟成させるほうが美味しくなるなどのメリットもあります。
一方、主食として適当かどうかという点では、味が濃厚なので、少々課題があるように思います。
なお、白皮種のほうが、一般に粉質で、長期保存に向いています。
ちなみに、カロテンは皮に多く含まれるので、できれば皮ごと調理したいものです。
米と比べると、タンパク質は少ないですが、低カロリーで食物繊維豊富であることがわかります。
【 知っておきたい 冬至なんきん のいわれ 】
二十四節季のひとつ、「冬至」は、一年のうち、昼が短く、夜が長くなる日。
年度によって日は変わります。
「死にいちばん近い日」「太陽の力が一番弱まった日」という視点から、この日以後、活力が増すという前向きな捉え方から、「運気が上昇する」というお目出たい日になっています。厄払いは、日本の神道の元にある考え方ですね。
では、なぜカボチャなのか。
どうやら、その良好な保存性と関係があったようです。
冷凍冷蔵庫や、施設栽培の無い時代には、冬の間、野菜が極端に少なくなります。保存するために、塩蔵や乾燥などの手段をとりますが、カボチャは野菜の中でも保存性が良いことから、栄養補給のために冬にカボチャを食べるようになったのではとされています。
栄養バランスの良いカボチャは、なるほど健康維持にも役立ったことでしょう。
現在では、保存性の良い野菜や、作型改良で通年流通するようになった野菜も多いですが、風習だけが残ったという事かと思われます。
先述のとおり、セイヨウカボチャは明治以後普及したので、「冬至なんきん」は、ニホンカボチャを使った食生活の風習と言って良いでしょう。
冬至といえば、もうひとつ「ゆず」「ゆず湯」を思い出しますが、冬至=「湯治」で、ゆず=「融通がきく」という語呂合わせ的な意味合いが強いようです。柚子湯は香りも良く、とても気持ちいい贅沢で晴れやかな気分になりますね。
日本人は、とても繊細な生活感を持って生きてきたのですね。
ウリ科である、カボチャ。
ウリ科には、瓜のほか、きゅうり、すいか、メロンなど、重要作物目白押し。
俯瞰的に理解するほうが、早く理解できます。今回は、カボチャのなかまだけを取り上げました。
いったいいつ終わるのかこの活動・・・と思いながらも続けます。
長文をお読みいただき有難うございます。
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